写真日記帖 トップ > 第1期 暮らしの記憶[赤荻武さん]

2009年10月29日
先日、中国に行って来ました。
短いあいだでしたが、行った先々でたくさん写真を撮りました。
フィルム4本、サブのポラ4箱、サブのサブのデジカメ100カットくらい。
撮ったその場で確認できるデジカメ、撮って数分でプリントになるポラ、数日後を楽しみにするフィルム。
それぞれ、よさがあります。
今回はあえてトイカメラをメインにしていたのですが、
実は、してやられちまいました。。
帰国後、預けたフィルムの現像の上がりを受け取りに行くと、
渡されたのはただの「透過プラスチックシート」が4枚。
どうやら、シャッターの故障ですべてのコマが未露光だった模様。
現像代だけ徴収されたネガフィルムは、無惨なゴミくず。
かろうじてデジカメでおさえていた画像を見ると、
トイカメラで撮影した当時のことがありありと思い出されて、げんなり。
中国旅行をまるっと喪失した気分。。
ところが、ここで一つの事実を発見します。
「撮れてなかった画をしっかりと覚えてる」んです。
景色、陽射し、温度、会話、撮ろうという意図、撮るためにした所作。
きっと写ってたら忘れてしまうような些細なことまでが、強烈に頭に蘇ってきたんです。
普段、写真は「写ってるから思い出すことがある」と思ってるけど、
実は「写ってるから忘れてしまうこともある」んじゃないだろうか、と。
今回、この惨事のおかげで「写してるようで写ってない」ことに対して初めて考えを巡らせました。
写真の根っこの部分は「ボケ」や「色味」ではなくて
きっと「写ってるか、写ってないか」、それと「記録と記憶」。
おぉ。さすがに中国四千年の歴史、深いっぽい!