「浅田家」の写真を1枚1枚眺めていると、出演のお父さん、お母さん、お兄さんに思わず「ご苦労様でした」と語りかけ、何ともいえないハッピーな気分に包まれてしまいます。このユニークな家族写真は、いったいどうやって生まれたのでしょう?
浅田さんの家族写真って、架空を家族で演じているところが今までにない面白さですよね。
この写真、どんなきっかけから生まれたのですか?
大阪の写真専門学校で学んだのですが、課題で「たった1枚で自分を表現しなさい」というのが出たんです。「たった1枚」というのが難しくて。
で、想像してみたんです。もしも、自分が死ぬときに病室で1枚だけ眺めるとしたら、どんな写真を見ていたいかって。(笑)

その最後に眺めたい1枚とは?
やっぱり家族かなと。僕自身、いちばん思い出に残っている家族の出来事を撮ろうと思ったんです。
僕が小学生の頃、父がケガをして。そのときあわてて兄と僕もケガをしたんで、父と同じ病院へ。その病院で母が看護師をしていたので、家族全員がそろった、という思い出なんです。家族に協力してもらって撮ったんですが、そのとき何か手応えをつかんだ気がして。卒業制作も思い出を再現した家族写真を撮り、それで学校長賞をいただいたんです。

そして、卒業、いよいよカメラマンの道へ?
当時はまだはっきりと目標が見えなかったので、とりあえず三重の実家へ帰りました。収入の方は特技のスロットで、特に働かなくても大丈夫だったんです(笑)。
家族写真の方は、過去を撮りつくしてなかなか動けなかったのですが、あるときふと、未来の写真はどうだろう?と。そう考えて撮ったのが、究極の未来である、自分が死んだときの写真です。
撮影もたいへんだったので、心から死にたくないと思いました(笑)。

その後、東京で仕事を?
写真スタジオのスタッフとして、有名な写真家さんの仕事ぶりを間近で見たりしました。でも、僕にとっては何より写真をやりたいというスタッフたちといろんなことを話せたのが刺激的でした。
友だちと夜、自分が撮った写真を見せ合いながら話をしていると、がんばってるんだなぁと勇気づけられたり、そんな考え方もあるんだと思ったり。

「浅田家」の撮影も無事、再開を?
そんなまわりのいい空気の中で、家族写真も空想を広げてみたんです。もし、家族が一緒の職業に就いていたら?と。すると、どんどん制限なくシチュエーションが広がって。やりたいことをノートに書いておき、三重に帰ったとき、できるものから撮っていきました。
そうやって撮りだめた写真をもとに、昨年には赤々舎さんから写真集を出させてもらったうえ、思いがけず木村伊兵衛賞をいただいて…本当に感謝しています。

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